Tomonobu FujiiJapanese professional racing driver

Next Chapter藤井誠暢コラム

vol.3

アストンマーティン本社でアンディ・パーマー社長に10分間のプレゼン
(3年がたった今、2018年7月28日が起点の実話を明かす)

3年前のアクションから今日までの実話を振り返る

さぁ、今日はタイトルに記した内容に触れたいと思う。これまでのコラムで述べたとおり、私は実現したいと思い描いたことを自分なりの方法で作り上げていく人生を幼少期から歩んできた。こういうと多少聞こえが良いが、逆に言えば、何も無いから自分なりの方法で模索しながら具体化するしか無いわけで、第一章や第二章で述べた、私がD’station Racingとして自社エントラントでFIA世界耐久選手権シリーズ(WEC)を戦う環境を得るために、数年前から水面下で準備を進めてきたすべてのアクションも同じだ。当コラムを読んで頂いている方は分かるだろうが、WECへの挑戦は何度も言葉で表現したとおり、いつか必ず実現しなければならない重要で大きなタスクだと決めていた。このFIAが主催する世界選手権というステージに、自動車メーカー予算のワークスチームではなく、星野敏チームオーナーが代表の日本の企業であるNEXUSグループがベースとなるプライベートチームのD’station Racingとして自社エントラントの権利を取得し、FIA世界耐久選手権シリーズへのフル参戦及びル・マン24時間レースに挑戦するという内容は当然だが簡単ではない。

今回のタイトル『Vol.3アストンマーティン本社でアンディ・パーマー社長に10分間のプレゼン』は、後で3年前のすべての実話を初めて公言するが、これも実際に先を考えた中で、私が2018年7月末に先のさまざまな展開を見越して直感的に行ったアクションのひとつでもあった。

実際に3年が経った2021年の今、FIA世界耐久選手権シリーズをわずか3台のアストンマーティン勢の一台としてのWECフル参戦が実現しているわけだから、振り返ると直感的に動いたこのアクションは正しいものだったともあらためて思う。詳しい実話のストーリーは後にご紹介したい。

失敗とか成功とか、特に何も考えずそのすべてを直感的に進めている

私は2月1日に当コラムの見出しで述べた通り、「すべて自由に。直感と思考で想うように、すべてにチャレンジしていく。」とコミットメントしたとおり、やりたいと思ったことは全力でチャレンジしていくと決めているし、お役に立てたり、喜ばれること、ワクワクすることはとても面白い。特に最近、自己分析をして、あらためて理解をしたが、私は表現は得意ではないが、喜んでもらえることをすることが好きなタイプである。それがどんな大きなハードルでもその約束を果たし最終的に達成していくことが快感だ。

だから今も失敗とか成功とか、特に何も考えずそのすべてを直感的に進めている正に真っ只中である。レースも同じである。海外の知らない敵地でFIA世界耐久選手権シリーズを戦うわけで、私の直接的なライバルとなるのは、同じゴールドorプラチナ格で世界の自動車メーカーと契約する経験豊富な百戦錬磨のワークスドライバー達(ジャンカルロ・フィジケラ選手、アウグスト・ファーファス選手、マット・キャンベル選手などの13〜15名)やメーカープログラムを代表する若手シルバー格のメーカー契約ドライバー達(デニス・オルセン選手、ニクラス・ニールセン選手など)が主軸であり、まったく走ったことが無いサーキットをレースウィークにわずか15周程走っただけで、決勝レースではリードドライバーとして彼らと戦わなければならない。

成功とか失敗とか不安とか特に何も考えておらず、初めてのサーキット、初めてのライバル達、そして世界選手権という舞台であるWECへのチャレンジを楽しみながら、常に全開でかつ冷静に走ることを心掛けている。そして、「海外のドライバーから舐められないように、1mmも隙を見せないようにしている」。

もともと私はさまざまな車種のマシンでレースをしてきた経験もあり、短時間でそれぞれの特徴を理解し合わせこむことが得意だが、とはいえ世界選手権レベルのチームやドライバーが多数存在するWECで、このハンディキャップを乗り越えながら、さらに結果を得ていくには経験という時間軸が足りないだろうとも予想していた。だから不安が無かったといえば嘘になるが、結果的に第1戦のスパ・フランコルシャンや第2戦のポルティマオを振り返ると、どちらも初経験のサーキットで走り出しから想像以上のパフォーマンスを出すことができ、大きな自信と今後へ向けた手応えにもなった。そしてやはり知らない敵地で知らないライバルと戦っていく未知のチャレンジは刺激的で大好きだ。

もちろん私の場合はただプロフェッショナルレーシングドライバーとして集中して走るだけではない。年間数億円規模のチーム組織を動かしながらコスト管理をして、合理性を加味しながら、ゼロスタートから始まったD’station Racingという名前が世界選手権の舞台で走る訳だから、その楽しさもやりがいも倍増する。

弊チームの事業規模は7億~8億円、更にさまざまな取り組みをしたい

例えば、チーム経営という点でも、私は2月1日よりこれまでまったく表に出してこなかった、D’station Racingチーム・マネージング・ディレクターとしての自分を表現(コミットメント)した。これも決断だと思う。それにより、具体的なレースビジネスに関する仕事の依頼が増え、より弊チームの業務内容は伸びた。コロナ禍により実現が難しいが海外からのタイアップやジェントルマンドライバーの受け皿、メーカーとのプログラムの共有の話も私へとコンタクトが届く。そして来年は別事業との連携も考えるとさらに伸びると思っている。

面白い話だが、今年の弊チームでWECを共に戦っているイギリス人の若手ドライバーで、アストンマーティン・レーシングの育成ドライバー出身のアンドリュー・ワトソン選手の起用も同じだ。デイトナ24時間のテレビ解説でも少し触りをお話ししたが、さまざまな準備でまさに超大忙しだった1月下旬、夜中に自宅のベッドで布団に入っていたら、知らない海外の番号(イギリス)から電話が鳴り、話をしてみると、あの有名な往年のF1ドライバーであるマーク・ブランデル氏からの突然の電話だった。ブランデル氏はアンドリュー選手をマネージメントしており、その売り込みだったのだ。当然ながらあえてシルバー・ドライバーをT.B.Cとして発表していたから、世界中から売り込みがあるのは予想通りのシナリオであり、11月から7人のドライバーと具体的な話を進めており、その中から選定しようと考えていた。名前を少し出すと、日本的には話題性もありそうな元F1世界チャンピオンのニキ・ラウダ選手の息子であるマティアス・ラウダ選手とも長く話を進めていた。

そして結果的に複数人の候補の中から、3月にアンドリュー選手の起用を決定した。もちろん、アストンマーティン・レーシングのマネージング・ディレクターで、AMRを2019/2020年のFIA世界耐久選手権シリーズのLM-GTEワールドチャンピオンへと導いた、私の英国での良き相談者でもあるジョン・ガウ氏からの強い後押しもあった。ジョン・ガウ氏との出会いは、2013年に初めてドバイ24時間レースに参戦し総合3位表彰台に登った時のチームディレクターだった。懐かしいが、私が海外でさまざまなチャンスを頂いた、香港のフランク・ユー氏がオーナーのクラフト・レーシング(現クラフト・バンブー・レーシング)からアストンマーティン・ヴァンテージV12 GT3で参戦し、ワークスドライバーのダレン・ターナー選手やステファン・ミュッケ選手、ダリル・オーヤン選手らと戦ったこのレースがきっかけで、以降ときどきやり取りをしていた。

海外からのダイレクトな連絡

この変化の話はWECに関してだけではない。例えば、私はプロフェッショナルレーシングドライバーとして自分の傍ら、他の自分の立場や業務、ビジネスなどを出すことにも隠しごとも変なカッコ付けもなく、シンプルに思ったことを必要な場合は表現するようにした。

弊チームのSNSをご覧の方はご存知だと思うが、弊チームのプレスリリース(スーパー耐久)で海外チームの受け入れもできると書き、チーム・マネージング・ディレクターとして、私の連絡先を普通に載せた。するとアメリカやシンガポール、オーストラリアなどから具体的な連絡が入った。入国規制が緩和されれば彼らが日本でやりたいことを弊チームがしっかりとお手伝いできると思うし、チームビジネスとしてはそんな基盤もしっかりと作っていきたいと思う。幸いにも、弊チームには高いモチベーションとフレキシビリティな思考を持った素晴らしい社員スタッフが在籍しており、FIA世界耐久選手権シリーズ、アジアン・ルマン・シリーズなどの海外レースに加えて、国内のSUPER GTやスーパー耐久、その他、フォーミュラ・リージョナルやワンメイクカテゴリーまで全て対応できる経験に加え、深い信頼と尊敬できる素晴らしいスタッフに恵まれており、その環境下でレースを戦ったり、知らない敵地の海外レースへ挑んだり、一緒にチームとしてレース事業ができることがとても楽しく、心から深く感謝をしている。

弊チームの事業規模は現在7億~8億円だが、実際に海外・国内のD’station Racingの活動範囲を考えると、とても合理的なチーム経営と人数でスムーズにさまざまなプログラムが回っていると思う。分業化もしっかりと構築でき、御殿場工場の完成から約1年半が経過した今、さらに事業規模を拡大できると感じている。だから私は海外を含めたさまざまな可能性を模索しているし、弊チームに興味を持って頂ける方と沢山の仕事を共有していきたい。

SNSの告知という点では、面白い話がもうひとつ。弊チームに7台あった、過去のレースで使用してきたポルシェのレーシングカー(GT3RやGT3 Cup)も、これまで売却には縁がなくなかなか売れなかった現状がある。しかし、とてもシンプルで、私はSNSで告知をして海外を含めて販売意思をPRすることにしたら、すぐに何件かの連絡が入った。私はダサい資料やダサい写真が美的に嫌いなので、販売資料もしっかりと作るようにしている。そして売却した後もしっかりとその車両でのレースを楽しんで頂きたいので、メンテナンスも入念に行い、納得できるレベルまで綺麗に仕上げて納車をした。

特に991.1 GT3Rは世界的なマーケットプライスも下がっており、販売が難しいと思っていたが、ご縁があり理想的な金額で2台とスペアパーツ一式をまとめてアメリカへ売却することができた。991.2 GT3 Cupも国内や海外からご連絡を頂いたが、最も面白かったのは、これもWhatsAppの番号を載せていたからか、イギリスのポルシェバイヤーの方で、世界で最もポルシェのレーシングカーを販売しているという会社の社長から電話が入り、イギリスの時間の翌朝9時にZoomを使ってライブで3台の車両のコンディション確認など一緒に行い販売交渉をした。そして国内からの引き合いも多く連絡を頂き、結果的に、わずか3ヵ月で全車両の売却が決まってメンテナンスの後に旅立っていった。これまでのアクションでは特に引き合いが無かったが、少しの見せ方や出し方を変えてPRした結果により、合計額が1億円を超えるような車両をすべて売却できたのだからこれも面白いし、決断により自分の立場を変えた変化のひとつだと思う。

サーキットの方程式

D’station Racingの新たな事業のひとつとして準備が整ってきたので、こちらも少し書きたいと思う。

サーキットを速く走るという点においては、基本的にいくつかの方程式があり、レーシングドライバーはその答えの「理想」へと走りやセットアップを近づけていく。ライン取りの考え方も、コースが変わっても、パターンというのはいくつかしか無く、ある程度の経験があれば、同じようなコーナーレイアウトは経験済みのサーキットにパターンが必ず存在し、それらのパズルを組み立てていく。車両のセットアップも車両開発も同じであり、当然だが、ブレーキング時に少しでも奥まで飛び込めて、さらに高い旋回性能とスタビリティが確保され、それでいて魔法のようなトラクション性能があれば速いに決まっている。加えて誰よりもエンジンパワーがあればリラックスして気を抜いて走っていても誰にも負けるわけも無い。もちろん、レギュレーションやBoP(性能調整)というものも現代のレースではしっかりと構築されていて、そのような圧倒的に差のあるレースカテゴリーは少ないと思う。タイヤも同じ考えで、コンパウンドのグリップレベルと摩耗性能、そしてプロファイルや構造をアジャストして、前途したコーナリングセオリーの限界点へ向けてバランスをさせていく。だから、我々がやっているレーシングカーをドライブする、レーシングカーを速くするという行為はとてもロジカルである。

だからこそ、実車でサーキットを走らなければならない必要性もかなり減っている。理由は簡単であり、コースレイアウトやその特徴、速く走る方程式を学ぶという、この行為は頭の運動であり、学習力を鍛えることが最も重要だからだ。例えば、クラスや体制により異なるが、WECのような年間数億円、メーカー規模では10億円以上のコストが掛かるカテゴリーのマシンで一日のプライベートテストを実施すると、数百万円ほどのコストでは組織や機材を動かすことすらできない。少なくとも一千万円以上のコストは必要である。例えば、ポルシェカップカーやフェラーリチャレンジカーなどのワンメイク車両でもタイヤ代や各パーツライフ、メンテナンスコストなどから一周単位のコストを試算すると、それは当然ながら高価な内容となる。

リアルなレーシングシミュレーターの可能性

コース習得や基本のドライビングセオリーの習得であれば、特にシミュレーターで走る方が全てにおいて合理的である。シミュレーターは毎日でも走れて、周回数に限りがなく走行を続けることができる。実際にチームオーナーである星野敏選手はシミュレーターだけでWECの各サーキットの走行トレーニングを重ねているが、実際に第1戦のスパ・フランコルシャンや第2戦のポルティマオでもWECに複数年参戦するライバルのブロンズドライバーに対して、タイムやペース的に勝る素晴らしい内容だったし、WECでのLM-GTEマシンの走行経験がまったくなかった時に仮想のデータと入手できる情報から、私とシミュレーターのスペシャリストであるSIMエンジニアとの共同作業で仮想のデータにアップデートを繰り返して車両を作り上げていったが、実際に現地で実車を走ってみるとスパ・フランコルシャンを初めて走ったフィーリングではなく車両も乗り慣れているような感覚になり驚いた。名物コーナーの「オー・ルージュ」も計測6周目から全開でいくことができたことも、シミュレーターによりリズムを習得していたからだ。

写真はルマン24時間の主催者ACOが指定するフランスのAoTechシュミレーター。弊チーム御殿場工場内のD’station Racing Sim Engineeringでは、中上級者向けの本格シュミレーター開発も最終段階に入り、さらには同施設と同等レベルの国内最大規模の大型シュミレーター施設も年内に完成する予定だ。

これらもWEC参戦の模索と準備を始めていた頃からレーシングシミュレーターの経験と知識を深めて研究し試行錯誤を繰り返していた。ただのソフトウェア上で何となく合わせこむのではなく、通常アクセスできないプログラムの中まで入り、何をどうアジャストすると実車の何と同じ動きを再現できるかを理解する必要があり、それらを十分に対応できる技術と経験のあるSIMエンジニアと共に数々のデータを作り上げてきた。

スーパー耐久でヴァンテージGT4に乗る、星野辰也選手も同じである。この2年間、激戦区のST-ZクラスでGT4マシンを駆り素晴らしい走りをしているが、実は実車でのテスト走行や練習はほぼゼロに等しいほどしていない。練習法は私がシミュレーター上で、次のレースに必要なサーキットのデータと実際に想定されるラップタイムに合わせてデータを作り込む。これがズレていたら、ただゲームをやっているのと同じで、あまり意味がないため、ここに多くの時間を掛けて実車に限りなく近くなるまでSIMエンジニアと共にデータを作りこむ。ブレーキキングポイントやシフトアップ・ダウン。ライン取り、すべて納得できるレベルまで仕上げて、車載映像とコーチングコメント、海外にいる場合はリモートでのサポートもする。そしていつも実車でのレースウィークのはじめに言われるのが、「シミュレーターとまったく同じですね……(笑)」「昨日もこのサーキットを走っていた感じで……(笑)」と。

現在、弊チームでは自社開発も最終段階まできており、素晴らしいものがプロトタイプとして完成している。弊チームが開発しているものは、自己評価ではあるが実車との感覚のズレが無いと言っても良いレベルに仕上がっており、これもD’station Racingのコンテンツとして事業化するプラットフォームを考えている。国内・海外問わず、幅広い層の方々に活用して頂けるようハードだけではない、総合的なプラットフォームを作り上げたい。

私は世界の数々の本格的なシミュレーターを試乗した経験があるが、今考えているような総合的なプラットフォームは無いと思う。そして、名前のとおりシミュレーションであるゆえ、リアルとのズレがあれば意味がない、というよりは意味が薄い。仮に98%レベルでリアル化できたとしたら、これは合理的な練習でありこれ以上にない最高のシミュレーションとなる。今後、世の中はAI社会が進み、自動運転等も現実化していく未来型の社会が直ぐそこにあると思う。モータースポーツもこのシミュレーターの進化により、リアルとバーチャルの垣根が急速なスピードで既に無くなってきていると思う。だから将来は現在のモータースポーツとは異なり、誰でも参加できるスポーツになると個人的には予測する。

私は約3年ほどこのジャンルに関して勉強しテストを重ね、イギリスのシミュレーター先駆者達との情報共有のパートナーシップに加え、ハード・ソフト・エンジニアリング面を含めて、こちらも準備が整っていきている。想定より商品化に時間が掛かっているが、すでに国内や海外からの受注を頂いているので、さらにスピードアップさせてこちらも進めていきたい。

2018年7月28日、一通のダイレクトメールからの起点

さぁ、近状報告など、少し話が長くなってしまったが、いよいよ本題に入りたいと思う。タイトルだけを読むと何だか分からない内容に感じるかもしれないが、私の人生経験としても面白い実話のアクションであり、今の弊チームのレース活動に対して、起点となる出来事だと思うからご紹介したいと思う。私は大切なご縁や出会いの日時を正確に記憶する癖がある。もちろん時間も覚えている。

2018年7月28日、私はイギリス時間の朝8時ちょうどに合わせて、日本時間の16時にEメールの送信ボタンを押した。宛先は、アストンマーティン・ラゴンダ社を大改革させ魅力的な新型車両を次々とプロデュースし、創業105年を迎える歴史ある同社を初めてロンドン株式市場へ上場させた経営者であり同社CEOのアンディー・パーマー社長宛である。(※メールアドレスの情報入手に関しては未公開)

「片思いは必ずご縁を引き寄せる」。これも私の妄想のひとつであったが、弊チームの未来のビジョンの中に、今シーズン実際に挑戦しているFIA世界耐久選手権シリーズへの自社エントラントでのフル参戦およびル・マン24時間レースへの参戦というものがあった。これは別に私とチームオーナーの星野敏氏との契約や約束ではなく、第一章や第二章で述べたとおりの内容で有言実行を必ずしようと思っていたからだ。そしてこの目標としていたステージに向けて必ず実現するために、私が考えた中で先を読んだアクションのひとつでだった。

日本人の一般的な常識からすれば、世界の有名な自動車メーカーのCEOに突然のダイレクトメールを送るなどドラスティックな行動は理解できないかもしれないが、別に私としては、双方にとって素晴らしい提案だと思うし、さまざまな記事を読みアンディー氏のビジョンや思考を私なりに推測すると、私のメール内容に興味を示して頂けるという自信もあった。ただの非常識な売り込みや迷惑メールではないから、奇跡的に返信を頂けるのではというわずかながらの期待感も持っていた。もちろん、返信はCEOの秘書なのかご担当者なのか分からないが、何かしらの返事を頂けると一方的に信じていた。

このメールを送った少し前に、我々が現在所有して実際にレースを戦っている、新型のアストンマーティン・ヴァンテージGT3がAMRよりデビューするというニュースが2018年のル・マン24時間の会場で発表されたばかりだった。時間軸と我々が実際に行っている活動内容を考えると、面白いと思うが、正に起点はここである。

もちろん、重要な英文メールは私レベルの英語力では失礼があるとも思い、内容が100%と思える完璧な英文に訂正・修正を加えてもらいお送りした。私の話やチームの構成、我々とのパートナーシップにより考えられる明確なベネフィットもメール文章に明記した。そしてメールの文末にはこの一文も付け加えた。さまざまな想いがあり『san』も付けさせて頂いた。

「Mr. Andy-san, if you are interested in promoting Aston Martin and AMR race cars in Japan, together with our D’station Racing team, I would be very interested to discuss further.」
正しいかどうかは別として正に起点だ。

プライスレスな世界で特定の優位性を得る

FIA世界耐久選手権シリーズはプライスレスだと思っている。コストや予算を掛ければキリが無く掛かるし、ル・マン24時間レースもそうである。だから、ただの客として無駄なコストを取られて上手い口車に乗せられて海外プロジェクトをやるようなことはしたくないし、合理的にそして良いコストバランスで、なおかつコンペティティブな体制を作っての参戦をイメージしていた。だからLM-GTE車両を持つメーカーと何らかのパートナーシッププログラムを共有する必要があると、私は将来的なビジョンをこの頃から考えていた。

当時、D’station RacingとしてはSUPER GT参戦2年目、ポルシェで戦っている真っ只中だった。もちろん、ポルシェは星野敏チームオーナーの大好きなメーカー、ブランド、車両であり、私自身も多くのレースをポルシェで戦いSUPER GTでも過去に何度も優勝を飾った思い入れのある車両でありブランドである。しかも、我々のSUPER GTのプログラムに対してポルシェ・モータースポーツの本拠地であるヴァイザッハからワークスドライバーのスヴェン・ミューラー選手も派遣され、さらには鈴鹿10時間レースにはスヴェン選手に加えてアール・バンバー選手も派遣されていたから一般的に考えれば、予想外のマシン変更だと感じたかもしれない。

だから、翌年2019年2月15日にプレスリリースを出したD’station Racingのアストンマーティンへの車両変更に驚いた方も多かったかもしれない。しかもアジア地域で唯一の新型ヴァンテージGT3が世界的にも早い優先的なデリバリーでのデビューだったからなおさらだと思う。

ただ、このマシンスィッチの理由は誤解なくして頂きたい。星野氏も私自身もポルシェというスポーツカーのリーディングカンパニーであるブランドでありメーカーの車両は今でも大好きであり、ポルシェにしかない魅力を誰よりも知っているつもりだ。私自身、ポルシェの入口ともいえるトラックエクスペリエンスからGT3 Cup、GT3 R、GT3 RSRなど、ポルシェのモータースポーツに多く関わらせて頂いたからこそ、その独特な世界の魅力を十分に理解している。その一方で、我々のような島国の日本のプライベートチームがWECという世界規模の大きな操縦不能といえる「ポリティクス」が関わる世界で、ある程度優位に立ち、メーカーとも優位性のあるパートナーシップを将来的に構築するにはどうするのがベストかと、この頃から私は考えていた。

それらも単純な発想ではなく、SUPER GTやスーパー耐久に置けるサポート体制、ハンディウエイト制のレースでの車両特性、高温・高湿度のアジアという場所でのポテンシャル、FR/MR/RRなどのレイアウト、エンジン・トランスミッションや各パーツのライフ及びコスト、その他の海外レースへ挑戦した場合のさまざまな想定、ブランディング、将来性、書き出すとキリが無いが、私は海外のさまざまなルートを通じて、これらの私の頭にあった欲しいと思う情報を複数から入手しながら、同時進行でアクションを進めていた。

2018年9月4日、イギリス・ゲイドンにあるアストンマーティン本社へ

前項から少し話がスキップしているが、私は2018年9月4日にイギリス・ゲイドンにあるアストンマーティン本社へ向かった。別にアポイントが取れているわけではなく、当時、レーシングドライバーとしてはKONDO RACINGのニュルブルクリンク24時間レースのプログラムの契約をして頂き、発表は9月末であったが、事前に8月から何度かVLNレースへ行き、ライセンスをとったり規定周回をクリアするためにレースに参戦したり、他のレースやイベント出演の仕事も多く入っていて忙しかった。しかし、9月末までにすべてを決めようと思っていたので、それを逆算してもタイミング的に自分のスケジュールが組める9月第1週にイギリスへ行こうと決め、とりあえず渡航した。

実は7月28日にお送りしたメールの回答は、アンディー・パーマー社長より直々に私へとメール返信を頂けたのだ。内容はとてもポジティブだと私は感じた。ただ当然だがいつ会おうとか、多忙な自動車メーカーのCEOレベルの方が、ある意味、モータースポーツプログラムのカスタマーレーシングプログラムでAMR(アストンマーティン・レーシング)の運営やレースビジネスを請負うプロドライブが実際に運営しているプログラムに対して、本社サイドのしかもCEOに時間を割いて頂けるわけなどないとも思っていた。さらに仮に私自身もいつと言われても仕事のスケジュールがギッシリ埋まっていて、自由に身動きが取れない事情もあった。

そんな中、アストンマーティン本社の副社長でモータースポーツ部門のトップでもあるデイビット・キング副社長が9月4日は本社にいるから、副社長に会える可能性はゼロじゃないかも? との情報をアストンマーティン・レーシング経由で入手し、とりあえず迷っていても仕方ないし、発表前の新型ヴァンテージGT3の具体的な詳細も知りたいから、「とりあえず、来週すぐにイギリスへ行きます」、「滞在期間に本社へのアポイントが取れなくても、新型ヴァンテージGT3の詳細を知りたいしプロドライブには必ず行きます」とメールを送り、私は直ぐにイギリスへ旅立った。

私が海外で何かにアプローチする際は、いつも複数の目的地をイメージし、それらに最もアクセスが良く、過ごしやすい便利な場所を選択するようにしている。この旅では、アストンマーティン本社のあるゲイドンや、アストンマーティン・レーシング(プロドライブ)のあるバンベリーにアクセスしやすそうな街へとりあえず向かい、ホテルで資料を作りながら待機していようと決めていたので、ロンドンより北西約80キロにあるミルトン・キーンズのホテルを予約した。

そして、9月2日の夜中にミルトン・キーンズに到着し、9月3日はアストンマーティン・レーシングの拠点である、プロドライブを訪問した。プロドライブといえば、日本で知らない方は少ないかもしれないが、言うまでもなく、イギリスのレーシングカーコンストラクターおよびレーシングチームであり、代表はあの有名なデイヴィッド・リチャーズ氏である。日本と馴染み深い話でいえば、スバルのWRC(FIA世界ラリー選手権)で長いパートナーシップを続け、ともに数々の伝説を打ち立ててきたことは有名だ。また、B・A・RのF1プログラムにデビッド・リチャーズ氏やプロドライブが大きく関与していたことも有名である。

何度行っても驚くが、本当に規模の大きなワークショップ・研究所、オフィス、カスタマーサポート、さまざまな部門が一つの屋根の下に収まっており、モータースポーツのみならず、幅広い分野でビジネスを展開している。

9月3日にプロドライブへ訪問するとプロドライブの経営陣であり、アストンマーティン・レーシングのマネージング・ディレクターのジョン・ガウ氏ともひさびさに再会した。たしか2014年のドバイ24時間レースの後に、ドバイのダウンタウンのレストランで食事をして以来、実に4年ぶりの再会であった。そして、一緒に出迎えてくれたのは、今では、我々のアジアン・ル・マン・シリーズでチームディレクターまで務めてくれている関係であり、カスタマーレーシングを統括するセールスマネージャーのブノワ・ブールデール氏だ。この渡英の前にメールや電話では何度か話をしたが、もちろん、この日に初めて彼と会った。彼は要求の多い私のさまざまな「条件」に関するリクエストに対して、本当に全力を尽くしてくれた。そして、今では私のヨーロッパでの良き友人の一人でもある。私は個人的にここ数年、アストンマーティン・レーシングのカスタマーレーシングが成功を収めているのは彼の努力の影響が大きいと思っている。彼が世界で販売した新型ヴァンテージGT3/GT4の台数を聞いて驚いたが、プロダクツの魅力はもちろんのこと、彼の人柄じゃなければ無理だと思うほど素晴らしい人間である。もともとランボルギーニのモータースポーツ、そして、レース主催者であるSROにも在籍、さらにはローラでも長年モータースポーツビジネスを手掛けてきた。本当に面白く、熱い人間だ。

「That's great」と一言、重要な会議を抜け出し貴重なお時間を頂いた10分間

プロドライブでの打ち合わせ中に、私はブノワ氏に「5分でいいから副社長にアポイントを取って欲しい」と伝えた。もちろん、7月28日時点で私はアンディー・パーマー社長宛にEメールで「ご提案したい内容のイメージ」は伝えている。ただ、何度もメールをするような失礼な行為はしたくないため、一度の返信メールの後はメールを送っていなかった。

そして、飛行機やホテルの中で作った英語版のとても簡潔で伝わりやすいプロポーザルを用意していたため、見て頂ければ、提案内容はすぐに理解できると思った。別に20分も30分も説明しなくても、トップレベルの経営者が見れば、いちいち説明しなくても要点で理解できると思うし、簡潔にいうと、「我々ができること」、「我々がしたいこと」、「我々がして欲しいこと」、「お互いのメリット」をイメージしやすくまとめ上げた。

9月4日14時、私の“押し”により苦労を掛けてしまったとは思うが(彼の立場的に)、ブノワ氏を経由してデイビット・キング副社長(レーシング代表)にアポイントを頂けた。私は到着初日にアストンマーティン・ラゴンダ本社のあるゲイドンへ足を運んでいたので、道順や時間も想定できていた。そしてエントランスで受付を済ませ、展示されていたヴァルキリーを興味深く眺めていると、うしろから「フジイさん」とデイビット・キング副社長に声を掛けられ、副社長室へと一緒に歩いて行った。

アンディー・パーマー社長が私に返信をしてくださったメールのCCには数名の重要と思われる人物の名前が入っており、アストンマーティン・レーシング代表でありラゴンダ本社の副社長である、デイビット・キング副社長にはメール内容を見て頂いていた。私や弊チームの概要、バックグラウンドも把握して頂いていることが分かった。そして、考えているSUPER GTに関するプログラム、将来を見据えたWECやル・マン24時間のプログラム、さらにはこの段階で可能性があったSUPER GTとDTMドイツ・ツーリングカー選手権の“Class-1 GT500”の話も提案した。

私が話を始めて5分くらいするとデイビット・キング副社長が立ち上がり、「フジイさんちょっとお待ちください」と言われ、一人で副社長室で待っていると、突然、CEOのアンディー・パーマー社長が副社長室へ表れ、「フジイさんようこそ、メールも見ました」と言われた。そして、私が作ったプロポーザルをじっくりと丁寧に見てくださり、「That's great」と一言。どうやらデイビット・キング副社長が私が来ている旨を伝えてくださったようで、重要な会議中に席を立ち、私が待つ副社長室へ会議を抜け出して来て頂いたようだ。だから、会話中に何度も電話がなり、「もうすぐ戻るから待ってくれ」と伝えながら、私とのディスカッションをしてくださった。会話はタイトルの通り、約10分間。

世界を代表する自動車メーカーのCEOに突然の飛び込みメールをするというドラスティックな私の行動を理解して頂き、さらには、お時間まで頂けただけでも感謝という言葉だけでは言い表せないが、私は、アストンマーティン・ラゴンダ本社およびアストンマーティン・レーシングとして、日本やアジアで初となる新型ヴァンテージGT3の投入や未来の構想するプログラムに関して複数のサポートをお願いした。

そして、この起点が始まりとなり、今、私たちは、実際にアストンマーティン・レーシングの世界に4つの契約パートナーチームとして、WEC世界耐久選手権シリーズに3台しか存在しないアストンマーティン勢の1台として、実際にレースを戦っているから面白い。契約内容はもちろん表には出せないが、この提案のわずか2日後に、私はデイビット・キング副社長を通じて1通のEメールを受け取った。

他のヨーロッパメーカーのカスタマーレーシング・ビジネスも十分に理解している私としては、このサポート内容は想像をはるかに超える内容だった。もちろん、金銭的やパーツ等のサポートが重要という訳ではなく、そのような好意的なパートナーシップを提示してくれたことに意味があると思うし、先のプログラムを考えた際に、強いパートナーシップになると私は感じた。もちろん、ヨーロッパで重要な「ポリティクス」の準備も必要だと思っていた。

Class1 GT500の可能性

前項の続きは、書ききれないほど沢山の物語がある。例えば、“Class-1 GT500”の可能性もそのひとつだ。簡潔に伝えると、2018年12月中旬に私はアブダビのヤスマリーナ・サーキットへ行った。自分のレースでは無い。新型ヴァンテージGT3がアブダビ・ガルフ12時間レースで走る初レースである。目的はふたつあった。ひとつめは、2019年に国内で彼らと進めるSUPER GTやスーパー耐久のプログラムに関する打ち合わせや、新型車両で遠く離れた日本でプログラムを進めるためにはさまざまな準備が必要だったのだ。台数が多く、カスタマーレーシングが主体である、ドイツ系のメーカーとは異なり、日本でアストンマーティンを走らせるには、大きなハードルが沢山あるだろうと十分に想定していた。ただ、ワークス支援的な契約を得てパートナーシップを結んでも、実際に車両を走らせるには書ききれない程の苦労がある。だからこそ、デリバリー時期が見えたこのタイミングで、首脳陣と車両やパーツを見た状態でFace to Faceのミーティングが必要だと思っていた。

そして、私が個人的に考えていたもうひとつの狙いは、Rモータースポーツとのディスカッションであった。少し前の話になるので、思い出してもらわなければならないが、ちょうどこの時期はDTMを撤退したメルセデスの活動を担っていたHWA AGが、Rモータースポーツのレース活動を行うAFレーシングAGとパートナーシップを締結し、アストンマーティンのDTMプロジェクトが始まるタイミングだった。

当時、Rモータースポーツという先進的なチャレンジを続ける、世界的にもユニークでベンチャーなレース活動をしていたチームを統括していたのはオーナーのフローリアン・カーメルガー氏で、GT3等のプログラムをイギリスで運営する実質のオペレーションは、フォーミュラカーで有名なアーデンモータースポーツや、プロトタイプカーの名門であるJOTAスポーツが運営に関わっていた。私はフローリアン・カーメルガー氏にもコンタクトを取ろうと思い、さまざまな人脈を辿り実際に連絡をし、アブダビでは彼の右腕である、Rモータースポーツのマネージング・ディレクターであるジュリアン・ロウス氏に会うことができた。

彼とは非常に前向きなディスカッションができ、彼らが将来SUPER GTを含めた日本やアジアへ挑む場合に、当時は建設中であった我々のD’station Racingの御殿場ファクトリーを拠点として、「何か一緒にプログラムをやろう」という話を彼と具体的に話した。そして、アブダビから帰国した後も、何度もメールや電話で連絡を取り合い、Class-1 GT500の将来的なプログラムの可能性も視野に入れながら、まずは「2019年鈴鹿10時間をパートナーシッププログラムでやろうか」という話になった。その後、2019年SUPER GT開幕戦で我々の車両が大クラッシュにより破損した影響もあり、車両のサイクル的な問題等から参戦を断念したが、Class-1が消滅せず、RモータースポーツによるアストンマーティンDTMプロジェクトが継続いていた場合、日本のモータースポーツファンの皆さんに、我々D’station Racingにしかできない面白いニュースやチャレンジを日本でお見せできていたと思う。

いよいよル・マン24時間を迎える、この起点の出会いには心から深く感謝をしている

第一章、第二章を読んで頂けば、私がコミットメントしたこと、そして、星野敏氏やD’station Racingとしての展望に対して、これまでの私の行動・活動・アクションと照らし合わせて頂くと面白いと思う。

そして第一章、第二章でも述べたとおり、我々は目標であった、自社エントラントでのフルシーズンのFIA世界耐久選手権シリーズ(WEC)の参戦および第89回ル・マン24時間レースの出場権を得ることができた。ル・マン24時間の出場権がどれだけ難しいかは説明の必要も無いレベルだが、同様に第一章で述べたとおり、WECを取り巻く環境は大きく変化している。

世界中の自動車メーカーがハイパーカーやLMDhといった時代にマッチした合理的なカテゴリーへ興味を示し、WECやル・マン24時間への再挑戦を発表したニュースが続いている。まだ発表されていないが、私が今知るだけでも、さらに参戦メーカーが増えると思うし、そうなるとWECのさらなる盛り上がりは想像しなくても分かるレベルで飛躍すると思う。

実際に、つい先週、私にもあるメーカーのLMDhのプログラムに関して少し触りの話が入ったように、今の我々D’station RacingのWECにおけるネットワークや、イギリスの参戦体制をベースに構築していけば、十分にできないカテゴリーではないし、そんなことが島国の日本のチームとしてできたら本当に面白いと思う。

もちろん、今WECにチームとして挑戦しているのは、チームオーナーである星野氏の夢のステージ『ル・マン24時間』と『FIA世界耐久選手権シリーズ』で結果を掴むこと。私は第一章で「絶妙に今だと思っていると」述べたが、LM-GTEの将来に関して私は変換期だととらえており、おそらく、2023年には大きく変わると思っているし、だからこそ今の挑戦が非常に重要だとも思っている。

さぁ、いよいよ当コラム第三章も文末を迎えた。今日は8月10日だ。(当コラムの執筆 : 前半は6月のドバイ滞在中に執筆、中盤は7月のフランス・イタリア滞在中に執筆、文末は今執筆を終えた)あと2日で私はル・マン24時間へ向けてフランスへ旅立つ。

第三章の中心的な実話の起点、7月28日から3年が経った今、こうして、D’station Racingの自社エントラントとしてWECへ参戦しル・マン24時間の出場権を得ていること、これも3年前にアンディー・パーマー社長にお時間を頂いたことがきっかけだと思う。今は筆頭株主も変わり、ローレンス・ストロール氏を中心に新たな動きとなっているアストンマーティン社ではあるが、私は我々のプログラムの起点である、私のアクションに対してチャンスを下さり、間違いなく「ポリティクス」が重要な世界選手権という難しい世界で、D’station Racingとして活動ができていることは、この起点の出来事によるものだと心から深く感謝している。

そして、前回のコラムを書いた開幕前とは我々の状況も変わっている。

WECは未知の挑戦と述べたが、第1戦のスパ・フランコルシャン、第2戦のポルティマオ、第3戦のモンツァを振り返ると、予想以上に良いレースができたと感じている。しかも、星野氏の大きな目標の一つであった「D’station RacingとしてFIA世界耐久選手権シリーズの舞台で表彰台を獲得する」という目標もすでにクリアできたから、本当に喜ばしいことである。

そして、次はいよいよ第89回ル・マン24時間レースだ。今週末のテストデーを走らないとフィーリングは分からないが、1周約13.6kmのサルト・サーキットを一歩一歩攻略し、まずは確実に24時間後のゴールを目指したいと思う。

藤井誠暢 SNS
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