Tomonobu FujiiJapanese professional racing driver

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vol.2

誰もがレースをやめられない

冒頭で感謝の意を表したい

2月1日に公開した、私にとって記念すべき初のコラム『Vol.1 男の約束と決意、常に少し大きなコミットメントと有言実行で生きてきた。』に関して、想像以上に多くの皆さまに読んでいただけたようで、SNSなどを通じて、とても多くの心温まるメッセージをいただいた。ある意味、当コラムを通じて私はすべてを丸出しに執筆したわけだが、一人でも多くの方の勇気や希望、モチベーションの向上に1%でもお役に立てたのであれば、それ以上に嬉しいことはないし、私の執筆した一語一句が、ここを読んでいただいた方に対して何かひとつでもキーワードとなっていただけるなら最高だ。別に自己啓発書を書こうとか、そのような想いはまったくないが、ありのままに想いや気持ちを執筆というツールを通じて表現したことで、共感を得た方がいただけで幸せだ。

さぁ、それでは「Vol.2 誰もがレースをやめられない」の執筆を開始したい。

不思議な“魔力”。ようこそ、出口のない世界へ

ここを読んでいただいているあなたは、すでに“出口のない世界”への自動エントリーを済ませている方だと思う。片足か両足か分からないが、我々の関わる「モータースポーツの世界、レースの世界、クルマの世界」には“究極の魔力”があると思っている。それは“魅力”という正統派で直球な言葉ではなく、“魔力”という表現が適切だと感じるほど、不思議な魅力を持つ世界だと思う。

「誰もがレースを止められない」──まさに、この言葉のとおり、この世界に片足を突っ込んだ方は、ほぼ脱出不可能だと思う。時折、自己の気持ちをも惑わす不思議な魔力に魅了され、この究極の「出口のない世界」で格闘を続ける。もちろん、私もその一人だ。前書でも述べたが、私がレースをするために幼少期から続けてきたアクションも、すべてレースの魔力に魅了されたからである。

それは、我々レーシングドライバーだけではない。チームの組織として構成される、オーナー orファウンダー、チームディレクター、チームマネージャー、エンジニア、メカニック、レースクイーン。そして、スポンサー企業やレースファンの皆さんも、この魔力に魅了されている方だと思う。

例えば、レースやモータースポーツに興味が薄い方でも、一度サーキットへ足を運び生でレースを観て、エキゾーストノートを聞くと、ほぼ100%と言えるほど、その魅力に魅了されると思う。少なくとも私の個人的な感覚と経験では、そうであった。言葉では表現できないが、サーキットという非日常的な空間が持つ独特の世界観と、走ることだけに切磋琢磨され形として生まれてきたレーシングカーがあり、それをデータベースで数値的に作り上げるエンジニアと、物理的に組み上げるレースメカニック、タイヤ交換でわずか0.1秒を争い職人技を披露するメカニック、ホスピタリティを支えるマネージャーやチームを支えるスポンサー企業、そしてレースに花を添えるレースクイーン。プロフェッショナリズムで構成され、分業化され、それぞれのタスクに100%で戦っているシーンや、その空気感は独特だと思うし、とてもカッコイイ世界だと思う。

そして、ここには競争というモノがあり、良くも悪くも『結果』や『順位』という明確に数値化されたリザルトが必ずついてくる。レースは勝利を掴むことが目的だが、勝利を掴むには数々のパズルが必要だ。ひとつでもそのピーズが欠けてしまうと、勝利を掴むことはできない。そして、『必ず』という言葉は当てはまらない。いくら予選で速いタイムを記録しても、最高レベルのマシンを手にしていても、メカニックが完璧なピットワークをしてくれても、何かひとつでもミスやマシントラブルがあれば、すべては台無しになる世界だ。そして、レースの不思議な魔力には『ゴールという名詞が無い』と私は感じている。

もちろん、チェッカーフラッグを受ければ順位はつき、ひとつのレースのゴールを迎える。さらに年間のチャンピオンシップを戦い抜けば、“シリーズ〇位”というゴールは迎える。しかし、この「レースの世界のゴールは?」と言われれば、明確なゴールが見えないかもしれない。だから“出口のない世界”だと思う。

そして、「誰もがレースを止められない」

レースは自分の限界に挑戦し、それを確認するひとり旅

後に当コラムで紹介をしようと思っているが、私はアメリカの俳優で、さまざまなヒット作をもつパトリック・デンプシー氏と2018年WEC富士、2019年ル・マン24時間レースでDEMPSEY-PROTON RACINGのオーナーと、D’station Racingのプログラムマネージャーという立場で一緒に仕事をさせていただいた。デンプシー氏はモータースポーツを深く愛しており、自身もアメリカでエントリーカテゴリーからレースをスタートし、その後、さまざまなカテゴリーで経験を積んだのちWEC世界耐久選手権まで登り詰めた経験を持つ。

そして、2019年ル・マン24時間レースの後に、デンプシー氏が残したひと言が今でも私の頭に深く刻み込まれている。

当たり前かもしれない、ハリウッドの名優であるスーパースターが、私の目の前で、私の目を見て、言葉を伝えてくれるシーンというのは、超エクスクルーシブな映画館の最前列でスクリーンをただひとりで見ているかのような不思議な光景であり、現実的ではない、そして嘘のような光景である。

今でも鮮明に、そして頭と心、足の指先から手の指先まで全身にわたり深く刻まれているし、多くの方がモータースポーツの素晴らしさ、“魔力”に魅了されてしまうのは、このデンプシー氏に言われたひとことが表す言葉のとおりだと思う。前述したようにレーシングカーをドライビングする我々レーシングドライバーだけではない。チームに関わる多くのスタッフや関係者、そしてレースを応援してくださるファンの皆様も同じかもしれない。

これこそが“レースの魔力”かもしれない。
だから“出口のない世界”だと私は思う。

その言葉をご紹介しよう。

『レースは自分の限界に挑戦し、それを確認するひとり旅です。ル・マン24時間はその典型的なもので、皆がそれを体験するためにここに集まってくるのです。成功するときもあれば、失敗するときもあります。そして、失敗のなかには成長があります。人生と同じで、それこそがレースを戦う素晴らしさなのです』

2019年6月16日 パトリック・デンプシー

先が見えない中での挑戦、コロナ禍での海外レース

前コラムを執筆した直後、私は2021年アジアン・ル・マン・シリーズ参戦のため、UAE(アラブ首長国連邦)へ約3週間滞在した。いうまでもなく、ドバイ・アブダビへの滞在だ。

前コラムで、D’station Racingとして自社エントラントでWEC世界耐久選手権シリーズへ参戦することを、私は最高のタイミングと述べた。『本当に絶妙に今だと思っている。いや、今やらはければならない、英語で言えば、『Want』や『Should』ではなく、明確な『Must』だ。それは、正に男の約束と決意。私の人生のタスクの大きなひとつだと自ら認識している』とも述べた。

もちろん、我々は#777 D’station Racingとして、WEC世界耐久選手権へのフルシーズンでのエントリー権利も、第89回ル・マン24時間レースへのエントリー権利も持っているから(内容は前コラムのとおり)、ここでの成績によりル・マン24時間レースの参戦権利を争う必要はない。

そんな中で、2021年アジアン・ル・マン・シリーズ参戦の目的、目標は何だったのかも話したい。もちろん、WEC世界耐久選手権シリーズ参戦の主人公であるチームオーナーの星野敏氏の希望はそのひとつだが、希望があっても難しいものは難しい。現にいくつかのチームが参戦を断念してエントリーを取り消したし、我々も予定していたスタッフが渡航規制でドバイ・アブダビへ入国できず、予定より少ない人数で仕事を支えあいながら、なんとか全4レースを終えることができた。

D’station Racingの社員スタッフをはじめ、パートナースタッフとして力をお借りしたフリーランスメカニックたち、そしてイギリスのアストンマーティン・レーシングからジョイントしてくれた2名のスタッフにも感謝しかない。このコロナ禍において、異国のドバイ・アブダビへ渡航し、全4戦をノートラブルで戦いアブダビ戦では2戦連続の入賞ができたことは、全チームスタッフの努力の賜物であり、準備段階からの全ての苦労を知っている分、本当に素晴らしいことだと思うし、そのすべてに深い感謝と、ひとつひとつの仕事に対してリスペクトをしている。

私自身も、特に11月~1月に掛けては、この流動的なアジアン・ル・マン・シリーズを自社スタッフで参戦するための準備と、並行して、WEC世界耐久選手権シリーズのプロジェクトを進めるために、さまざまなヨーロッパとのやり取りがあり、デスクワークのしすぎなのか睡眠時間が足りなさ過ぎたのか、花粉症の始まりによる目の痒みからなのか、1月中旬には目が腫れて充血してしまい、これまでオルソケラトロジー(視力矯正レンズ)により15年以上も1.5~2.0を保っていた視力が、0.1まで低下してしまい、アジアン・ル・マン・シリーズをしっかりと走れるのか不安なほどであった。幸いにもドバイへ到着して数日間、目を休めたら、オルソケラトロジーを装着できる目に戻り、走行前日には通常の視力に戻ったが、他にも長期の海外出張前に進めておかなければならない仕事のベース構築もあり、本当に時間と格闘しすぎていたと思う。

そもそも、アジアン・ル・マン・シリーズは、例年のように、中国(上海)、マレーシア(セパン)、タイ(ブリーラム)、オーストラリア(ベンド)、日本(富士or鈴鹿)のアジア諸国をオフシーズンに転戦するのが、例年ベースとなる開催案だった。しかし、コロナ禍での渡航制限などを考慮し、2021年アジアン・ル・マン・シリーズは、マレーシア(セパン)、タイ(ブリーラム)での開催と、一度スケジュールが発表された。しかし、コロナ禍による入国規制や渡航制限によりアジア地域での開催は難しいと判断し、最終的にオーガナイザーは開催地をアブダビ(ヤス・マリーナ・サーキット)での開催へとスケジュールの変更を発表した。2月の第1週に第1戦と第2戦を開催し、中一週間のインターバルを挟んで第3週に第3戦と第4戦を開催するというチャンピオンシップの内容だった。

世界的に人気の高いヤス・マリーナ・サーキットでの開催、地理的にもヨーロッパからの渡航がアジアに対して容易であることもあり、さらにル・マン24時間の参戦権利の獲得は、世界中の多くのチームが目標のひとつとして掲げていたと思う。それがオフシーズンの2月にヤス・マリーナ・サーキットで開催となれば、当然のようにエントリーは集まる。実際に、アジアン・ル・マン・シリーズというタイトルのレースだが、中身はオフシーズン版のヨーロピアン・ル・マン・シリーズという表現が最も適切だと思うほど、各メーカーから派遣されるファクトリードライバーや、ヨーロッパの強豪チームが多数集結した。

私は、アジアン・ル・マン・シリーズに関する近況アップデートは、常に同シリーズのCEOでマネージングディレクターのシリル・ティーチ氏に頻繁に連絡していたので、フレキシブルに状況変化に対応できるような段取りを常に早めに準備していた。そして、直前にふたたび開催スケジュールが変わった。これは合理的なスケジュールの変更で、主催者がコロナ禍において全チームの関係者が安全で、さらに隔離などの時間軸に対して効率的にレースをするための変更だった。

日本よりすべてのガイドラインが厳しく、ある意味では安全

そして、アブダビ(ヤス・マリーナ・サーキット)だけの開催から、ドバイ(ドバイ・オートドローム)で第1戦、第2戦が行われることになった。理由は、同じUAE(アラブ首長国連邦)でもアブダビとドバイではコロナ禍におけるルールやガイドラインがまったく異なるからだ。

UAEは7つの首長国からなる連邦制国家だから当たり前と言えば当たり前だが、そもそもアブダビへの入国は非常にハードルが高く、仮に現地ビザや主催者発行のインビテーションレターによる入国の許可がされたとしても、10日間の隔離がマストである。さらにこの時期、グローバルに活動するヨーロッパの強豪チームはアメリカへ渡りデイトナ24時間へも参戦している。実際に我々のWECプログラムでイギリスの拠点としてともに仕事をするTF SPORTも、デイトナ24時間を終えてアメリカから直接アブダビへの渡航を予定していた。主催者はこの10日間の隔離の問題をクリアしつつ、2大会、4戦を開催するために、入国後の隔離が無い同じUAEのドバイで最初の2戦を開催し、翌週にアブダビへ移動し2戦を開催するスケジュールとした。

同じUAEでドバイへ到着して入国後10日間が経つ日程をアブダビへ移動する日から逆算して、我々はドバイへ入国する必要があった。私のスケジュールでいえば、2月6日にドバイへ入国し、2月14日にドバイでのレースを終えて、16日の朝、クルマでドバイからアブダビへ移動した。アブダビへの入国には48時間以内のPCR検査の陰性証明を提示しないと入国ができないので、逆算して14日の決勝レース前の朝9時30分にPCR検査を行い、16日の朝9時30分までにアブダビへ入国できるよう、逆算してドバイのホテルを7時30分に出発した。

UAEはコロナ禍におけるガイドラインが厳しく、例えばクルマ移動は、車内に運転手以外に3人以上が乗車している場合は、罰金3000AED(約9万円)(※タクシー、3列シートのバンは運転手以外に4名まで)、車内に2名以上が乗車しマスク不着用は罰金3000AED(約9万円)、公共の場でのマスク不着用も罰金3000AED(約9万円)、アメリカでは6フィート(約1.8メートル)、日本では2メートルと言われている「ソーシャル・ディスタンス」は、UAEは2メートルで守らない場合は、罰金3000AED(約9万円)、集会の制限を守らない場合、主催者は罰金50,000AED(約150万円)など。

サーキットへの入場も、直近(指定された時間内)のPCR検査の陰性証明を提示しなければゲートをくぐることすらできないし、レース大会期間中にも現地でドライブスルーのPCR検査会場まで特設されている。これはWEC世界耐久選手権シリーズも同様であり、コロナ禍でのレース開催に対して主催者が徹底したガイドラインを明確にしているが、この定められた時間軸に対して、遠い島国の日本から移動して、現在の便数の少ないフライトから目的地へ定められた時間に到着するだけでも、本当に苦労が多いしハードルが高い。

実際に、今週末のWEC開幕戦スパ・フランコルシャンも、日本からブリュッセルに飛ぶ便は、現状はそもそも便数が少ない。コロナ禍で無ければ、ドイツのフランクフルト空港へ飛び、ニュルブルクリンクからさらに1時間半ほどクルマで走れば到着できるから、フランクフルト便を考えていたが、ドイツの入国規制の状況からするとこれには現実性がなく断念した。もちろん、FIAよりWEC用のインビテーションレターをスパ・フランコルシャン戦に向けて発行してもらうため、ベルギーへの入国は可能だが、私がブリュッセル空港へ着陸する予定は4月24日(土)15時55分、その後、10分でも時間を無駄にしないために、最も待ち時間が少ないとされ移動距離も少ない場所のレンタカー会社まで予約した。

そして、スムーズにレンタカーを借りられたとして、FIAが指定するスパ・フランコルシャンのPCR検査場に20時迄に到着しないと、翌日にサーキットに入れない。まぁ、このような問題がこの先も沢山あるだろう。もちろん、現在多くの国へ移動する前には、滞在国出国前72時間以内に検査を受けたPCR検査の陰性証明書が必要なので、これも各フライトから移動時間を含めて逆算して受けなければならない。

そして、どんなにフライトが少なくてもコストが掛かるモノには、必ず合理性が必要だと常に思う。話はそれるが、エアチケットやホテルの予約サイトは無数にあるが、考えたら当たり前の話でここには少しロジックがありマーケットにより価格が変動する。だから、私は海外レースのエアチケットを取る時、少しこの部分に工夫を入れて逆算していることで、同じフライトで同じ人数(約20名の海外フライト)を合計300万程安くしたこともある。ここに手間と知恵を使わないと、同じサービスに300万円余分に払うことになる。

良いサービスを安く探りコストを落とすのは当たり前。これも考慮しながら、常にフレキシブルで、さらに時間軸を逆算して物事を進めスケジューリングをして動いていけなければ対応できない時期だと感じている。

異国で知らない敵と戦うのはピュアにチャレンジングだ

コロナ禍におけるレース渡航の難しさや準備の話はさておき、話を少し戻して2021年アジアン・ル・マン・シリーズの話を少ししたい。今年のこのレースは本当に面白かった。それもそのはず。前述したとおり、ヨーロッパから多数の強豪チームが約20台も集まったからだ。それもWEC世界耐久選手権シリーズやル・マン24時間、ヨーロッパ・ル・マン・シリーズを戦う、このレースフォーマットを知り尽くした強豪チームや、ニュルブルクリンク24時間、スパ24時間、ドバイ24時間の優勝チームが、この20台の中に集結した。

アストンマーティン系チームは、我々D’station Racing以外に、以前マクラーレンのファクトリープログラムを請け負っていて、現在はアストンマーティンのパートナーチームとなったイギリスのガレージ59と、WEC世界耐久選手権シリーズやル・マン24時間でも豊富な経験を誇り、我々のWECプログラムのパートナーでありイギリスの拠点を請け負ってもらうTF SPORT。両チームともに技術もキャリアももちろん世界のトップレベルだ。

フェラーリ系チームは、歴史を説明する必要もないレベルで世界的に有名な、AFコルセやケッセル・レーシング、そして日本でも世界でも名を広めている木村武史氏が率いるカーガイ・レーシングもケッセル・レーシングとジョントで参戦した。私は木村氏の活動も常に深くリスペクトしている。

ポルシェ系チームは、ドイツADAC GTの名門チームでドバイ24時間の常勝チームであるヘルベルス・モータースポーツ。2019年スパ24時間レースの総合優勝チームで、直前に行われた2021年ドバイ24時間レースの総合優勝チームであるGPXレーシング。そして、例年アジアン・ル・マン・シリーズやIGTCインターコンチネンタルGTチャレンジでトップ争いを展開しているハブオート・レーシングがメルセデス系チームとして参戦した。さらにBMW系チームは、ニュルブルクリンク24時間レースの名門チームであるワーケンホルスト。マクラーレン系チームは、インセプション・レーシング。

単純に名前をズラリと並べただけでも、世界の数々の豊富な実績を誇る名の通った名門チームばかりだが、それに加えて、各メーカーからファクトリードライバーも多数派遣された。

アストンマーティンはマキシム・マルタン選手、ジョナサン・アダム選手、チャールズ・イーストウッド選手。フェラーリはダビデ・リゴン選手、アレッサンドロ・ピエール・グイディ選手、ジャンカルロ・フィジケラ選手、ニクラス・ニールセン選手。ポルシェはジュリアン・アンロエア選手。メルセデスAMGはラファエル・マルチェッロ選手。マクラーレンはベン・バーニコート選手。そして、BMWはニッキー・キャツバーク選手。

アジアン・ル・マン・シリーズのGTクラスは、FIAドライバーカテゴライズの『ブロンズ』+『シルバー』+『ゴールド/プラチナ』のコンビネーションで戦うことがレギュレーションとなっている。それはWEC世界耐久選手権シリーズやル・マン24時間レースにおいてもGTE-Amクラスは同じカテゴライズを採用する。

我々はD’station Racingのオーナーでもある星野敏選手(ブロンズ)、トム・ギャンブル選手(シルバー)、私、藤井誠暢(ゴールド)というラインナップだ。特に乗車時間の制限等の戦略目も含めて速くて強いシルバードライバーの選定は非常に重要で、今回も多くのヨーロッパの関係者と話を繰り返して、数人の候補の中から19歳のトム・ギャンブル選手を起用した。もちろん、トム選手は2018年英国オートスポーツ・アワードを受賞し、2020年ヨーロッパ・ル・マン・シリーズのLMP3クラスでシリーズチャンピオンを獲得しているしスピード面での問題も無いと思っていたし、昨年のアジアン・ル・マン・シリーズ開幕戦の上海で我々とともに優勝を達成した、若手のアストンマーティン・ファクトリードライバーであるロス・ガン選手が、WECアメリカ戦と日程が重複したブリーラム戦で既に一緒にレースをしていたので、彼のことも良く知っていた。

レースの結果を先に報告すると、2月10日~13日にドバイ(ドバイ・オートドローム)で行われた、第1戦:13位、第2戦:13位。2月17日~20日にアブダビ(ヤス・マリーナ・サーキット)で行われた、第3戦:7位、第4戦:7位。平凡な結果に見えるかもしれないが、この激戦な中で、D’station Racingとして日本人スタッフをベースとして戦った結果、順位以上の多くのモノを得ることができたと思う。

星野選手も全戦でスタートドライバーを務めて、一度もミスなく、担当スティントで完璧な仕事を披露し、次のスティントへ繋げる素晴らしい走りだったし、トム選手も予想どおりのスピードと安定感を常に魅せ続けてくれて、チームのリザルトに貢献した。そして、私自身も同じスティントで戦うことの多かった、前途したファクトリードライバー達と、同じゴールド/プラチナ枠のパートでバトルがありとても純粋にレースを楽しめた。

特に海外のこの手のレースは、タイヤ戦争もなく、BoPもレースウイーク中にも細かく調整されていくため、本当に道具の差が少ない。チーム力やストラテジーの差、アベレージラップの差が結果に表れる。実際に私も同じアストンマーティンに乗るファクトリードライバー達と随所でバトルがあったが、お互い抑えるところさえ抑えていれば、30周近くも等間隔でのバトルが続いた。ライバルが異なるタイヤを選択していてペースが違えば簡単に抜くこともできるし、少しペースをコントロールしながらタイヤマネージメントをしようとか、そんな雰囲気は全くない。常に限界点で全員が走り続けているから、本当に集中しているし、ある意味、集中力と精神力を限界点で使う。

そして、知らない敵と戦うのは面白いし、新たな経験は常に楽しい。

もちろん、WEC世界耐久選手権シリーズやル・マン24時間レースは、この延長線上に位置し、さらに高いレベルでチャンピオンシップが行われているだろう。

目標のステージへのコミットメント

さぁ、「誰もがレースを止められない」。
D’station RacingのWEC世界耐久選手権シリーズへの挑戦の主人公ともいえる、チームオーナーである星野敏氏もそのひとりだと思う。

前コラムVol.1の文末で述べたが、『WEC世界耐久選手権シリーズ及びル・マン24時間レースを自社エントラントで戦うこと』は、星野氏の目標のステージであったことは説明の必要もない事実である。「常に少し先の目標設定と、その実現、そして、それらを掴んでいくプロセスほど楽しいものはない。もちろん、失敗もあるし、悔しい思いもある。」と私は前コラムで述べた。

私は、2009年フェラーリF430 GT2でSUPER GTに参戦していた時代に、フェラーリ社の公式ドライビングスクールである「ピロタ・フェラーリ」の認定インストラクターとしてイタリア・フェラーリのスタッフから声を掛けていただき、フェラーリイベントの開催中にいきなり契約をしていただくことになった。そして、その時代に日本国内でフェラーリオーナー様へ向けた公式ドライビングスクールが開催されたのだ。私にとって、この仕事はとても楽しく、大好きなフェラーリの各最新モデルに乗れて、そして、サーキットを初めて走る方や、フェラーリでモータースポーツに挑戦したい方々へドライビングのアドバイスをさせていただいたり、一緒に本場のイタリアへ行き、フェラーリの聖地であるフィオラノ・サーキットで行われるプログラムに同行させていただいた経験もある。

星野氏は2009年9月の同イベントで富士スピードウェイに来られて、私がグループの担当講師として、アドバイスをさせていただいたのが最初の縁だ。今の星野氏の速さから考えれば頷けるが、メディアでも紹介されているとおり、星野氏は元フェンシング選手として全日本選手権を制した後、世界選手権へ3回出場しているキャリアを持つ生粋のアスリート魂からか、初めてフェラーリでサーキットを走る、しかも、特設レイアウトでとても難しいと思う、ピロタ・フェラーリのために専用で作った特設のジムカーナコースで、驚くべくタイムを記録した。

分かりやすく言うと、全参加者内で圧倒的なベストタイムだった(他の方がここをご覧になっていた場合は申し訳ございません。当表現ご理解ください)。私は特にこの10年間で数多くのジェントルマンドライバーの方々のコーチングやレースにおけるドライビングアドバイザー等を務めてきた。また、モータースポーツを始めたい方や、それぞれの楽しみ方に合わせてプログラムを構築するのも好きだし、複数のインポートメーカーの公式イベントで講師も担当させていただいてきた。だからこそ、分かることも多いし、瞬発的に速い方も、最初はじっくりで後に速くなる方も、その流れと道筋も理解できている。そして、それぞれどのようにアドバイスをすることが上達するかも十分に理解しているつもりだ。

少し思い出を振り返ると、星野氏が初めて生でレースを見たのは、2009年11月のSUPER GT最終戦ツインリンクもてぎであった。私はフェラーリF430 GT2に乗り、そのレースでポールポジションから優勝を飾ることができた。星野氏はモータースポーツの音と、特にSUPER GTの魅力とレースの迫力に感動したという。まさに前途した“出口のない世界”への第一歩がこのピロタ・フェラーリやサーキットでの経験だったのかもしれない。

そして、星野氏は自身もサーキットを走りたいという目標を持ち、私は星野氏がレースデビューをするまでの道筋のプログラムをイメージするようになった。純粋に星野氏のような人物が本当にジェントルマンドライバーとして頂点までいったら面白いし、フェンシングで世界選手権までいった実績があり、会社経営者としてもものすごいスピードでNEXUSグループの事業を拡大化している真っ只中だったため、その中で、星野氏の未来の夢を『ル・マン24時間レース』と私は仮付けした。

当たり前だが、サーキットをつい先日走ったばかりで、まだヒール・アンド・トウも覚える段階のドライバーにとって、ル・マン24時間レースなど、夢にも想像できないと思う。ただ、星野氏の場合は、フェンシングでも世界選手権まで登り詰めて戦っていた訳で、このクルマの世界でも頂点を必ず目標とする方だろうと感じた。もちろん、事業に対しても同じだと思う。

その後、基礎のドライビングトレーニング等を定期的に行い、3年後には、星野氏がひとつの明確な目標としていた、ポルシェ カレラカップ ジャパンへの参戦を実現し、その後、二度のクラスチャンピオンも獲得した。その中でも記憶に残る大きなトピックスと言えるのは、2018年のF1日本グランプリの鈴鹿戦だ。

現在のポルシェ カレラカップ ジャパンは若手ドライバーも複数人参戦しており、もちろん、ジェントルマンドライバーが総合で勝利することは、理屈上は不可能と言っても過言では無いレベルである。しかし、それを実現した。しかも若手ドライバーがトラブルやクラッシュで脱落した時にチャンスが舞い込んでくる、言わば“たなぼた”の優勝とは違う。予選3番手スタートから鋭いスタートダッシュで若手ドライバーの2台を抜き去り、トップで1周目を通過すると、そのまま最終ラップの最終コーナーまで2台の若手ドライバーからの追撃を守り切り、当時57歳で20代の若手ドライバーを相手にF1日本グランプリという大観衆が見守る中で優勝を飾った。

フェンシング選手としてのアスリートであった30代前半までの生活の後、アミューズメント事業を一から創業し、完全なゼロスタートから同業事業における国内のリーディングカンパニーである位置までオーバーテイクを続けてきた星野氏の事業経営におけるチャレンジとモータースポーツにおけるチャレンジスピリッツは、実に100%リンクしていると、私は感じる。

もちろん、すべてが順調に進んだわけではなく、悔しいことやレースを止めようと思ったことは何度もあると思う。

前コラムでも簡潔に述べたが、星野氏にとって初めてのサーキットデビュー、そしてレースデビュー、ポルシェ カレラカップ ジャパンでの数々の勝利や二度のシリーズチャンピオン獲得。そして、スーパー耐久シリーズへの参戦や海外レースへの挑戦、さらにはWEC世界耐久選手権への挑戦。モータースポーツをゼロからスタートし、ジェントルマンドライバーとしてル・マン24時間レースへ出場するまでのプロセスには、様々な苦労や努力がある。

前途した、2009年の11月に私は星野氏に招待され、プロゴルファーの甲斐慎太郎氏とNEXUSグループ役員の阿施浩行氏とともに御殿場のゴルフ場でご一緒にプレーをさせていただいた。その後、東京都内の会員制ホテルで初めての会食をさせていただいた。その時の言葉が今でもしっかりと頭の中に刻み込まれている。それは、事業を全開で進めている星野氏には当たり前だったかもれないが、前コラムで私が述べた、「常に少し大きなコミットメントと有言実行」に共通する。振り返るとそんな言葉だった。

星野氏はフェンシング選手としてのキャリアの後、事業を始めた経緯と事業創業時の苦労話をとてもシンプルに話された。そして、明確に覚えている言葉がある。

「今、弊社は年商800億だが1000億を目指している」「もう今年達成できるが、それまでは自分の好きなことを一切やらないと決めていた」「クルマも特にそれほど買わないと決めていた」ただ、「今年は必ず目標の年商1000億円へ行く。藤井くんとの縁でサーキットを走りたくなったから月1回くらいのペースで先生をして欲しい」と明確に伝えられた事を今でも深く覚えている。

その後も、常に同じである。星野氏は口数は少ないが、大きな先のイメージと目標だけを明確に伝える。とくにやり方も、何も一言も言わない。任せたらとことん任せる経営者である。しかし、そこには常にしっかりと軸と方向性、そして、誰もがイメージできる目標が見えている。正に私がこのタイトルに使ったフレーズと同じだ。

この10年間、私は星野氏のドライビングコーチとして、また、ここ4年間はチーム経営陣としても数々の経験をさせていただいた。私のような、ただのプロレーシングドライバーに、自社チーム立ち上げ時も「チーム経営はすべて任せる」とシンプルに伝えられた。

そんな星野氏とともに、#777 D’station Racingとして、2021年世界耐久選手権シリーズ及び第89回ル・マン時間へ挑戦できる日が迫ってきた。これは私の発言に対する有言実行でもあるし、星野氏のモータースポーツにおける“目標のステージ”として設定した目的地だ。だから必ずここへ到着する必要があった。そして時間軸との戦いもある。だからこそ、今なのだ。

アメリカ・セブリングからポルトガル・ポルティマオ、そしてスパ・フランコルシャンへの開催スケジュールの変更が続いた、2021年WEC世界耐久選手権シリーズも、いよいよ開幕戦が直ぐそこだ。来週の4月26日~27日にはプロローグテストを行い、4月29日~5月1日に第1戦を迎える。

まだ、どんなレースが待ち受けているのか想像もできないし、どんな挑戦になるか分からないが、D’station Racingのイメージカラーとして浸透したダークグリーンとライトグリーンを象徴した、アストンマーティンのGTEカーが世界のサーキットを走る姿を日本から見届けてほしい。

藤井誠暢 SNS
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